留学生・横田等のロサンジェルス・ダイアリー =13 最終回= 8月28日 月曜日


   この日記をつけるのはきょうが最後になるはずだ。
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   昨夜は十二時近くになってから電話をかけて、真紀を少し驚かせてしまった。…突然かけるにしても、それまでは、よほどのことがない限りは、(ほら、木曜日の習慣にならって)夜八時ごろを選んでいたし、遅くなっても十時からあとになったことはなかったからね。
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   真紀は、だけど、僕の電話を喜んでくれたんだよ。「何をしてた?」って僕の問いへの答えが少しいたずらっぽい口調だったから、分かるんだ。「わたし?えーとね、わたしね、ほんと言うとね…」
   「ほんと言うと?」
   「ほんと言うと…。トム・クルーズの[ザ・ファーム]をビデオで見てたの」
   「またトム・クルーズ?」
   「そう。それも今夜二回目」
   「二回目…」
   「妬ける?」
   「まあね。…独りで?」
   「ばかね」。真紀は笑った。幸せそうな笑いだったよ。「ほかにだれがいるっていうの?こんな時間に?」
   「ちょっときいてみただけ」
   「でも、そろそろベッドに入ろうかなって考えていたところなの」
   「長いじゃまはしないよ」
   「いいのよ、わたしの方は。…でも、等さんはあしたの朝も早く起きなきゃいけないのよね」。真紀の声はすごく優しかった。「まだお仕事?…書いておくように言われていた原稿がうまく書けないの?」
   「いや、そっちの方はかたづいたのも同然だから…」
   次の[海流]には、移民局による不法就労者の取り締まりのことを(〔どうしても外国語を使わなければならない職業については永住権の許可条件をゆるやかにするべきではないか〕という視点で)書こうと決めていたし、(武井さんのおかげで、というとまずいかもしれないけれど)材料も豊富に集まっていたわけだから、まるっきりのでたらめを答えたわけじゃないんだよ。
   「そんなことより」と僕はつづけた。「今度の週末は、いっしょにサンタモニカの海を見に行かない?」
   「サンタモニカ?」
   「そう。そこまで僕が迎えに行くからさ」
   「行ってもいいわよ。でも、あそこは前にも行ったじゃない」
   「それはそうだけど…。だったら、サンタモニカでなくてもいい。…ね、ちょっと遠出になるけど、サンタバーバラのビーチはどう?」
   「どうしてもビーチなのね?」
   「ああ、真紀といっしょに海が見たいんだ」
   「あ、分かった。アリゾナに行ってしまうと、しばらくは海が見られないからね。いいわ。行きましょう。迎えに来て」
   そういうわけじゃない、とはいわなかった。〔僕が君と二人で海を見たくなったのは、ほんとうは…〕という説明は、サンタモニカでもサンタバーバラでもいい、とにかくビーチで海を眺めながらしたかったんだ。
   秀人君、武井さん、柴田さん、遼子さんのこと、日曜日に起こったことを全部話すには、ずいぶん時間がかかりそうだったな。
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   けさ、九時ごろ出社してきた児島編集長に、『日報』を九月九日でやめさせてもらうって伝えたよ。
   編集長は「ボクが予想していたのよりは一週間早いが…。そうか、やめるか」と言っただけで、すぐにまた『USAトゥデイ』に視線を戻してしまった。
   それだけだったけど、その〔一週間早いが〕で、編集長が残念がってくれていることが分かったような気がして、嬉しかったよ。
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   編集長と僕のその会話を聞いていた辻本さんは、寺院や教会、コミュニティー団体などから届いていた手紙を整理していた手を休め、首を少し傾けながら僕を見つめると、こう言ってくれた。「いや、半年間、ご苦労さまでした。ありがとうございました」
   戦後間もないころからずっと『日報』で働いてきて、この新聞の浮き沈みを残さず見てきた人にかけてもらったこの慰労の言葉は、僕、生涯忘れないよ。
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   十時ごろ出てきた光子さんの反応は(ここでも関心の置き場がほかの人たちとは少し違っていて)いかにもあの人らしいものだったよ。「あの[ムスタング]は向こうでも大事にしなさいよ」
   「そうします」と応えた声があまりにすっきりしていたんで、僕は、自分で驚いてしまった。 
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   江波さんにはランチタイムに告げた。作業台の上に数枚重ねて置いてあったレイアウト用台紙の下から例の〔編集員募集〕の広告版下を取り出しながら、あの人は言った。「いや、ちょうどいま、きょうは忘れずに出さなきゃ、と思っていたところだったよ」
   〈なんだ。土曜日に出さなかったのは、僕を去らせたくなくて江波さんがあえて出さなかった、というんじゃなくて、ただ忘れていたからだったのか〉と、少し拍子抜けしたような気持ちにならないでもなかったけども、〈変に引きとめられるよりはましだ〉と自分にいい聞かせて、僕はその場を離れた。
   いや、いまは、僕がやめていくことを江波さんは、あんなふうに事務的に受けとめるしかなかったんだろうな、と思っているんだけどね。
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   (英語欄レイアウト係の)前川さんは「向こうで勉強についていけなくなったら、戻っておいで。みなで歓迎してやるよ」と言ってくれた。いつものように皮肉ですませるつもりだったのに、思わず優しい口調になってしまった、という感じだったな、あれは。
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   (植字工上がりの)タイピストの田淵さん、(心臓がじょうぶじゃない)克子さん、(無給で働いている)伊那さん、(給料支払いの遅れをだれよりも腹立たしく感じてしまう)井上さんたちは、みな、すごく残念がってくれた。…井上さんが「いい人に限って、ここで働くの、短いんですよね」と言ったのに応えて、田淵さんが「そうだね」と合槌を打ってくれたときには、やっぱり、ほめてもらったんだろうから、ほんとうは、僕はもっと嬉しがるべきだったんだろうけど、ふと、〈こんな条件だからな〉だとか〈過去には〔悪い人〕が紛れ込んできたこともあるんだろうな〉なんて考えてしまって、うまく笑顔をつくることができなかったよ。
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   写植係の相野さんは、僕の手を握りながら、僕がその午後にもいなくなってしまいでもするかのような口調で、こう言ってくれた。「こっちに遊びにくるようなことがあったら、顔を出すんだよ」
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   経理のグレイスさんは事務的に、僕にフィニックスのアドレスをたずねた。…住まいは、九月中旬に向こうに行ってから探すのだから、最後の給料小切手の送り先はリバーサイドの真紀のところにしてもらったよ。
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   イマムラ社長の反応は「いいね、若い人は、好きなことができるから」というものだった。…僕はつい、〈ジャネットさんに逆らいきれずに『日報』を継がせられたことを社長はいまでも恨んでいるんだろうか〉と疑ってしまったけど、あれは僕の単なる勘繰りだったかもしれない。
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   この六か月間ほとんど話したことがなかった(英語欄の編集員として社長を助けている)デイブ・イワタニさんには「MBAを取ったあとはどうするつもり?アメリカで働くの?」とたずねられた。〔まずそれを取ることが第一ですから、まだ…〕という僕の答えが終わる前にデイブさんは言った。「ふらふらしない方がいいよ。若いときというのは案外短いものだから」
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   新聞発送係のスギ老人には、最後の日にでもあいさつするつもりだ。
   まだ二週間あるから、ジャネットさんに会うチャンスもあると思うよ。週に一度か二度はいまでも顔を出す人だから。
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   夕方、辻本さんはとうに食事に出かけていた。
   会社を出ようとしていた僕の背に、突然、編集長が声をかけてきた。「今週は永住権のことを書くからいいとしてだな…。横田君、最後の週も[海流]は書くんだぞ」
   怒っているような声だったのは、僕がやめていくことへの、なんというか、そう、感傷をね、隠すためだったんじゃないかな。…そんな気がするよ。
   僕は振り返ってから、こう応えた。「え、最後の週もですか」
   編集長の隣の席で、あすに備えて原稿を書いていた光子さんが(たぶん、〔あ、この二人、また始めた〕と思いながら)顔を上げ、僕に向かってちょっとほほ笑んだ。
   「当たり前だろう?」。編集長は顔をしかめて見せた。「どうも、君は、あれだな、横田君。天邪鬼というのか、ボクが黙っていることについては進んでちゃんと仕事をするのに、こうしろ、こうしてほしいというと、決まってぐずぐず不平をいう。…いかんよ、そういう態度は」
   〈そうそう、その調子ですよ、編集長。感傷的になるの、編集長はぜんぜん似合わないんですから〉。そう思いながら僕は言った。「今後、気をつけます」
   「あ」と編集長は言った。「それもいかんぞ、横田君。もうすぐ去るからといって急にすなおになるというのも、気持ちが悪いぞ」
   「そういうのって、編集長、いわゆる〔難癖〕ってやつじゃないんですか」
   机の上の原稿用紙に視線を下ろしたままの光子さんの肩が震えていたよ。…懸命に笑いをこらえていたんじゃないかな。
   「教育だよ、これは」。椅子の背もたれの方にそっくり返りながら編集長は言った。「親切心で注意してやっているんだ」
   「それはどうも…」
   「だったら、最後の週も、いいね?」
   「分かりました」。僕は精一杯に明るい声をつくって答えた。「とにかく一本書かせてもらいます」
   「それでいいんだ、横田君」。編集長は(今度はなぜか〔気持ちが悪いぞ〕とは言わずに)例の〔お人好しのおじさん顔〕になっていた。「なにしろ、最後だからな。これまでここで学んできたことをネタにして、この半年間を集大成するような、しかもぴりっとした、そうだな、『南加日報』に横田等という人間がいたということをコミュニティーがいつまでも覚えているような、りっぱなエッセイを書くんだぞ」
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   〈ああ、そうか。僕を背後から呼びとめてまで〔最後の週も[海流]を書け〕と編集長が言ったのは、そういう意味だったのか〉と考えながら、僕は編集長に応えた。「そうですね。ロサンジェルスに住む日系人と日本人のこと、これだけたくさん勉強させてもらったんですからね。ネタはたくさんあるはずですからね。一本や二本じゃ書ききれないほどたくさん…」
   今度は僕の声が感傷的になっていたよ。
   だけど、そのことに編集長が気づいたかどうかは、分からなかったな。
   だって、あの人、酒瓶を取り出すつもりだったのか、机の下に深々と頭を突っ込んでしまったきり、そのまま、僕が出口の方に向きを変えるまで顔を上げなかったから。
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   僕がふと、〈編集長の席の後ろの、あのスチール製の黒いキャビネットの扉は結局一度も開けなかったな。開けることも、もうないんだな〉と思ったのは、建物の外に出てからだった。